マリアのメラノーマ闘病記その15
時は2021年2月。マリアが第三の犬生に旅立ってから、早、8カ月が過ぎました。今、食いしん坊だったマリアは、わが家のダイニングルームの片隅にいます。ボクたちが朝、昼、夜と、食事をしている風景の一番ちかくに居させてあげたいからです。そして毎朝、お水を新しくしながら、「マリア、おはよう」と声をかけています。”第三の犬生”の意味は、第一が鹿児島の崩壊した繁殖場、第二がわが家、そして・・・という意味です。
思い起こせば、2007年9月28日。もうすぐ10月だというのに、東京の気温が最高32度を記録したその夜、鹿児島の崩壊した繁殖場でずっと一緒だった2頭のラブラドールレトリーバーが、鹿児島発のJAL最終便で東京羽田空港に到着しました。そしてわが家に引き取られたのが、鹿児島のボランティアの人達が「必ず幸せになるんだよ」という想いと希望を込め、首輪に小さな向日葵(ひまわり)の花飾りが付けられていた、小さく色白のラブラドールレトリーバーのマリアでした。
鹿児島のエピソードを知る方からひまわりの生花が届きました
マリアは鹿児島時代、エクルと呼ばれていました。マリアの毛色から名付けられた、エクリュとは黄色味がかった白という色を意味し、高級車の本革シートの名称にも使われます。鹿児島のボランティアの人がイエローラブというにはちょっと白味が強い毛色からそう名付けたのでし
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