虹の橋を渡る日まで
祖母が亡くなった。3年前に癌の告知を受けて、90歳目前で苦しまずに逝ったので、大往生だったと皆が言っていた。生前の祖母は、癌の告知から自らの死期を悟って、いろいろと準備をしていたので、葬儀もスムーズに進んでいた。
見事な去り際を見せた祖母であったが、ひとつだけ誤算があった。遺影の前でずっと座り込んでいる、祖母の愛犬の存在である。
犬の話が最初に出たのは、祖母80歳の誕生日だった。私たち一家と叔母一家が集まって祝いのテーブルを囲んだとき、「犬を飼いたい」と、祖母がいきなり切り出したのだ。参加していた全員が「え?」という顔をしていたと思う。
「犬を飼いたい」と、再び祖母が口に出したが、もうそれが宣言のように聞こえて、我に返った父と叔母が、その歳では無理だというようなことをやんわり言っていた。
その場にいた私だけは、何となくその言葉に納得していた。当時、祖母とはよく携帯でメールのやりとりをしていたのだが、ある日のメールに「寂しい」というひと言があったのだ。
祖父亡き後、一人暮らしだったが、普段はそういう素振りさえ見せず、父と叔母の同居の誘いも断っていた祖母だけに、「寂しい」の文字がかなり私の心に刺さっていた。実子には強がってみせても、私みたいな孫にはつい本音が出てしまったのかもしれない。
とはいえ、やはり年齢を考えると祖母が犬を飼うことには無理だというのが皆の意見だ
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